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“Don’t be trapped by dogma”〜人生とは、生きる価値とは〜

執筆者:

山下 由起子(Life Sciences Institute, University of Michigan)

留学先:

Stanford University School of Medicine(アメリカ)

“Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of other's opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.” - Steve Jobs

Steve Jobsのことは彼が亡くなるまで知らなかった、という不届きな長年のマックユーザーの私ですが、後に彼の言葉を知り、数々のうなるほどの名言に心底感銘を受けました。その中でも上の引用は本当に心に響きます。

キャリアアドバイスなどをする際、受ける際に、最も大事な事は、彼のこの言葉ではないかと思います。成功するために誰かのまねをすることほど愚かな事はないと思います。
私は社会的成功には一切興味がなく、ただ、“自分でもびっくり”の発見をしたい、というストイックなモティベーションだけで研究を続けているので、「確実に成功したい」方は私の助言には耳を貸さない方がいいと思います。(「確実に成功する方法」があるのか、わかりませんが。)

私のこれまでの研究人生を振り返ってみると、あまりの行き当たりばったりぶりに、我ながら驚きます。スタンフォードでポスドクを始めたときには、「私、日本に向いてないみたいだし、どこか外に出れば何か良い事があるかも」くらいのことしか頭にありませんでした。そしてスタンフォードでポスドクを始めてみると、これが楽しくてたまらず、まさに研究に没頭。その研究が将来のキャリアにつながるとか、ファカルティーの暮らしの方がポスドクの暮らしよりも良いだろうとか、そういう考えも一切ありませんでした。そしてスタンフォードのラボ(非常にサポーティブなボスやラボの仲間)があまりに居心地が良かったので、「一生ここにいたい」と真剣に思っていました。四六時中サイエンスの事ばかり考えていたおかげか、最初の論文が留学後2年ぐらいで通り、周りは「そろそろジョブを探すのか?」と聞いてきましたが、その時点では、英語でのセミナーも心もとなく(「質問禁止!」と心の中で叫びながらいつもプレゼンテーションに挑んでいました)、ジョブサーチとかとんでもない、と思っていました。

そうこうするうちに、2報目の論文の仕事が形になり始めたのですが、この仕事は、自分のアイデアで始め、全部自分で進めた仕事だったので、仕事に対するownership感が強まりました。ラボのボスは非常にgenerousな人で、いつも仕事のクレジットをポスドクにくれるような人でしたが、やはり最初から最後まで自分が遂行したプロジェクトを目の当たりにすると、「自分の仕事は自分のものとして発表したい」という独立心がわいてきました。ファカルティーポジションをとりたいと思ったのは純粋にその「独立心」だけが理由でした。「親のことがきらいになった訳では全くないが、やはり大人になったら親元を離れるのが当たり前」という感覚と似ていると思います。そんな訳でジョブにアプライし始めたのですが、その段階で何もアメリカのシステムのことなどわかっておらず、インタビューでいろいろな大学に行っている段階でRO1が何かも知らなかったという(NIHが何かはかろうじて知っていましたが)有様でした。アプリケーションも別に特別な経路(コネとか)がある訳ではなく、単に公募広告(ネイチャーやサイエンス誌のウェブサイトにあるポジションの広告)に応募するだけです。現在PIとして、自分のポスドクがRO1が何かも知らない状態だという事を発見すれば気絶しそうになると思いますが、私自身はそういうめちゃくちゃな経路をたどってPIになったという訳です。

ミシガン大学を選んだのも特に深遠な考慮をした上での決断とかではなく、私をリクルートしてくれた人(Sean Morrison)が良さそうだったから、アナーバーがすみやすそうだったから、という相当緩い理由でした。後になって、Seanのいる場所を選んだ(そのときは何もわかってなかった)自分に感謝してもしきれないし、自分の幸運にも感謝しています。Seanからは計り知れないほどの事を学び、今でも学び続けています。

以上の経過を読んでいただければ、いかに私の人生が他の人の参考にならないか、という事がわかっていただけるかと思います。ただ、一つだけ、私が言える事があるとすれば、上述の経過を辿る上で、私は一度も「嫌な事を自分に無理強いしなかった」ということです。日本では我慢とか忍耐の重要性が強調されますが、我慢して何かをしてもそれは良い人生にはつながらないと思います。我慢しなければ一生懸命実験できないようなら、それは単に自分が研究には向いてないという事だと思います。夜遅くまで実験するのは「楽しいから」であって、「いつかはこんなつらい状況を抜け出すため」ではありません。もちろん、過程ではつらい事もたくさんありますが(論文やグラントは通らない事の方が通る事より圧倒的に多い訳ですから、楽しい事ばかりの訳はありません)、「グラントを書くのがつらい」のと「研究費がなくて自分の一番好きな研究ができなくなったらつらい」のとを比較してどちらがつらいかを考えれば自ずと答えは出てくる訳です。我慢しない、忍耐を持たない事は、怠惰であることや向上心がない事とは全く違います。そして自分が好きなこと(それに伴うつらいことが苦にならないくらい好きなこと)を見つけられれば、その結果成功しなくても気にならないし、でも、好きなのでどんどん努力するため成功の確率は上がると思います。

小細工的に、いろんな周辺情報 (ジョブサーチ上のテクニークなど)を集める暇があれば、自分のサイエンスを磨く方がよほど自分の将来のためになると思います(サイエンスがそこまで好きなら、ということですが)。そして、自分はこの世に一人しかいないので、自分を幸せにするhow toを他の人に求める事はできません。人生とは本来不確実なものであり、だからこそ、生きる価値があるのだと私は思います。

2015/11/19

​編集者より

​執筆者紹介:

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編集後記:

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編集者:

坂本 直也

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