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ある外科医の留学回想録

執筆者:

森 正樹(大阪大学大学院消化器外科)

留学先:

New England Deaconess Hospital(NEDH) (アメリカ)
Dana-Farber Cancer Institute(DFCI) (アメリカ)

私は1990年12月から1992年3月にかけての1年4カ月という短い期間、米国マサチューセッツ州ボストンにあるNew England Deaconess Hospital(NEDH)に留学した。実際の研究は隣接するDana-Farber Cancer Institute(DFCI)でも並行して行った。これらはいずれもハーバード大学(写真1)の関連病院である。研究室のボスはNEDHでは外科教授でもあるGlenn Steele先生、DFCIでは台湾出身の基礎研究者のLan Bo Chen教授である。彼らは共同研究を行っており、そのために私は両方に所属しながら研究を行うことになった。テーマは消化器の癌組織と正常組織で発現差のある遺伝子を同定するというものである。当時、DNAマイクロアレイ技術はなく、cDNA subtraction library法で研究を行っていたが、これは大変手間暇がかかるものであった。
私は外科医としての修練を終えた後、大学院では人体病理を学んだ。留学を機に分子生物学を勉強したいと考え、外科医で分子生物学にも造詣の深いSteele教授に直接手紙を書いて留学をお願いしたところ、運よく受け入れていただいた。私は分子生物学的な研究は初めてだったため、右も左も分からず、実験は当初から困難を極めた。しかし、同室のイギリス人で消化器内科医のGraham Barnardさん(写真2)が、自分の時間を割いて教えてくれたおかげで、この困難を乗り越えることができた。アメリカは多民族国家であるため、外人という概念があまり無いようである。そのため私たち日本人が行っても、手とり足とり教えるようなことはしてくれない。それだけにBarnardさんの存在は大きく、本当に救われた。留学期間は母教室(九州大学第二外科)の事情から当初から短いと予想していたため、休日もがんばらざるを得なかった。
日本に帰国後は外科医としての仕事に忙殺されたが、何とか時間を作り研究を続けた。臨床サンプルからDNA、RNA、タンパク質を抽出し、それらの臨床的意義を調べることをこまめに続けた。しかし研究費もままならず困っていたところに、恩師の杉町圭蔵教授から大分県別府市の九州大学生体防御医学研究所の外科に異動を勧められた。別府の施設は外科の仕事をしながら研究を行う上では、大変に良い環境であった。研究所とその附属病院はこじんまりしており、RIを使う実験室や動物実験施設へも移動が容易で、24時間いつでも空いた時間に研究できた。そのため、研究成果が出始め、そのデータを基に戦略的創造研究推進事業(CREST)に応募したところ採択された。これが大きな転機になった。CRESTは年間予算が大きいため、必要な機器を十分に揃えることができた。また、実験補助員も採用することができ、これにより研究はかなり進んだ。ありがたいことと感謝している。
外科医は手術をしてなんぼという世界である。私のように研究にも時間を割く外科医はそう多くはない。外科医が研究を行う必要があるか、しばしば問われるが、私は手術と同じくらい研究にも意義を見出せている(楽しい)ので、頓着していない。その分、働く時間は必然的に多くなっているが。
留学後、私はたまたま良い境遇を頂いた。そのために臨床でも研究でも精一杯がんばってこられたと思う。九州大学で10年間教授を務めた後、大阪大学で勤務する機会をいただき、今日に至っている。今は消化器外科医でもある大学院生とともに、臨床の傍ら研究を継続しているが、多くの大学院生は研究開始後数カ月もすると、研究者の顔立ちになってくる。上から言われていやいや始めた研究でも成果が出ると、がぜん勢いづき、没頭している。外科医が研究に没頭する期間は2年と考えている。その2年で考える力(理論的思考力)をつけてくれれば、嬉しいことである。
大学院を卒業する人には留学を勧めている。当時と今では社会情勢は大きく変わった。たとえば、私が留学していたころは、メールやスカイプはなかった。しかし、今ではどこにいてもほぼ同時に情報を共有できる。そのため、留学の必要性が低くなっているという話を耳にする。しかし、メールよりface to faceである。そこに住んで初めてこまごまとしたことが理解できる。頭で理解するのと実際では異なると言われるが、その通りと思う。同じ時期に留学していた日本からの会社員、銀行員、医師、研究者とは25年を経た今でも付き合いが深い。
米国にも多くの友人ができ、会議で出張する度に、会って近況を語り合っている。たとえばボストン留学時代にお世話になったBarnard先生(現在University of Massachusetts Medical Center)は消化器内科医として活躍中で、留学後25年にわたり共同研究を継続している。研究のアイデイアはもとより、いまだに英語の添削でもお世話になっている。留学を機に知り合いになったCarlo Croce教授(現在はOhio State University;写真3)とGeorge Calin教授(現在はMD Anderson Cancer Center)には癌における癌抑制遺伝子や癌とnon-coding RNAの関連の研究でお世話になっている。メールで頻繁に連絡を取り合い、学会参加の際には研究室で講演させてもらったり(写真4)、食事を共にしたりしている。国籍を問わず友人を持てたことは最大の喜びであり、何物にも代えがたい貴重な財産となっている。
「留学後も羽ばたくために」というテーマに応えるのは難しい。同じ医学部でも基礎系と臨床系でsituationが大きく異なるからである。基礎系研究者は留学中にCell、Nature、Scienceなどに論文が掲載されても、帰国後に同程度のレベルを維持するのは困難なことが少なくないと聞く。そのために尻すぼみになることも少なくないようだ。基礎系の場合も臨床系と同じく、多くは派遣先の研究室に戻ることになると思うが、その際は留学中の経験をどのように生かすか自分でイメージするとともに、留学中から教授に常にコンタクトをとりながら、自分の帰国後の研究イメージをこまめに伝えることが必要ではないだろうか? 将来的に帰国を考えているが、元の研究室に戻らない場合は、留学中から日本の研究室の動向を注視しておくことが大切である。どこでどのような研究が行われているか、日米の学会、最近の論文などを常に意識的に眺めておくことが大切だ。そして適当な研究室が見つかった場合は、コンタクトをとり、こちらの熱意を伝えることが重要だ。その場合、推薦してくれる第三者の研究者(できればBig name)がいることが重要である。そのためには学会など直接研究者と話が出来る場を大事にすることが大切だ。自分の履歴書と業績集、最近の代表的な論文の別冊は常に携帯して、いつでも自己アピールできる体制をとっておくべきである。Big chanceはどこに転がっているか分からない。
他方、臨床の場合は、帰国後の最大の問題は研究時間の確保である。私の場合は、助手(助教)の立場で帰国したが、臨床が忙しすぎてなかなか研究の時間は持てなかった。そのため大学院生を1人付けてもらい、彼と共同で研究を進めることにした。1人で行うことは時間的に限られているので、大学院生と二人三脚で進められたことは極めて有意義であった。大学院生を指導しつつ、ある部分については自分が筆頭でまとめるなどの工夫を行った。せっかく研究の遂行能力があるのに、臨床で忙殺され、実力を発揮できないのは損失である。是非工夫を重ねて研究を継続して欲しい。
大阪大学の消化器外科からは毎年5名程度が留学に飛び立っている。私と土岐祐一郎教授が大阪大学消化器外科を担当するようになり7年が経過した。この間20名を超える若手外科医がすでに留学を経験し帰国したが、だれひとり留学を悔やんだ者はいない。それぞれに良い思い出を持ち帰っているようだ。昨今は内向きの日本人が増えていると聞き残念に思っている。是非外国で暮らすこと、研究することを経験して欲しい。日本経済新聞の最終面に「私の履歴書」という欄がある。経済界をはじめとする各界で成功を収めた方が紹介されている。その多くの方が留学を勧めていることに留学の大切さが凝縮されている。是非参考にしてもらいたい。

2015/11/19

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​写真1:ハーバード大学

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写真2:Graham Barnardさん

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写真3:Carlo Croce教授

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写真4:研究室での講演

​編集者より

​執筆者紹介:

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編集後記:

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編集者:

坂本 直也

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