海外でラボを持つという選択
執筆者:
木全 諭宇(Department of Genetics, University of Cambridge)
留学先:
Marie Curie Research Institute(イギリス) University of Cambridge(イギリス)
世界を舞台に英語でのコミュニケーションが前提となる「科学研究」を志す人たちにとって、たとえ短期間といえども海外に留学をすることは、誰しもが一度は考える選択だとおもいます。しかし、ポスドク期間を終えたのち、日本に帰国せずにそのまま海外の研究機関で自分のラボを持つという選択肢まで考える人は、比較的少ないのが現実です。私の場合は、博士課程までを日本で修了した後にイギリスに留学、7年間のポスドク研究を終えた後、2011年に同国のケンブリッジ大学で独立しました。この体験記では、私がイギリスで独立するに到った過程、およびケンブリッジ大学でのPIとしての経験を、日本に帰国された方たちの話とも比較しつつ振り返ってみたいとおもいます。 海外に長期滞在した経験のない人にとって、外国人を相手に海外でラボを運営するということは、大変なチャレンジに感じることとおもいます。 実際私も留学以前は、まさか時分が将来イギリスでラボを持つことになるとは、夢にも思っていませんでした。留学に際しても、研究生として目立った業績(=論文)がなかった私は、留学用の奨学金も見込めぬまま、また、海外のラボに直接コンタクトするような度胸も自信もなく、指導教官に勧められるままに、当時イギリスで独立したばかりだった同門の先輩、山野博之先生の研究室に、わらにもすがるような思いでアプライしたのでした。 私の最初のポスドク先は、大都市からかなり離れたOxtedというイギリス南東部の辺鄙な田舎町にありました。今考えると、そんな地理的条件のため、あまり多くの有望な応募者がいなかったのではないかと推測されます。ただそのおかげで私は海外留学の機会を得て、さらには、独立直後でやる気十分の若手PIから、徹底した直接実験指導と、データの細部にわたる十分すぎるほどのディスカッションをする時間をもらうことができました(ちなみにそんな議論の多くは、外国人メンバーが帰宅した後、深夜近くになって日本語で行われました)。振り返ってみると、Slow starterの私にとって、初めての長期海外留学をそんな「半分日本・半分海外のような中途半端な形で始められたことが、うまく働いたのだと思います。もし留学当初から競争の激しい大研究室になど入っていたら、おそらく自信喪失してしまい、何も結果が出せないないまま、今頃は路頭に迷っていたのではないでしょうか。私のケースは偶然による部分が大きかったと思いますが、自分の力量やスタイルにあった留学先を選ぶことは、その後の研究キャリアにとって極めて重要です。 多くの有望な人材が、留学先選択を間違えたがために、ポテンシャルを開花させることなく研究室を去っていくのを見ています。研究テーマや業績といった表面的な情報だけにとわられず、実際に在籍経験のある人の話も聞き、研究室の雰囲気やPIの人柄を考慮に入れつつ、十分な検討することが、後悔しない選択のためには大切です。 留学生活も4年を過ぎて、英語での会話にもなれてきたころ、私の研究業績も徐々に上がり、幸運にも日本学術振興会の海外特別研究員に選ばれました。そんなこともあり、少しずつですが、「こんな自分でもPIになれるかもしれない」という気持ちも湧いてきて、実際に独立を考えるようになりました。しかしそれと同時に、それまで使ってきた酵母モデルでの研究の限界を感じていた時でした。その結果、「2ndポスドクから実験モデルを変えるのは危ないよ」という先輩からの親身な忠告を受けながらも、「自分のしたいことをできなければ研究を続けても意味がない」と、別の研究室に移る決意をしました。実は当時は帰国も考慮に入れ、いくつか日本の研究室にも打診したのですが、その時点での私の経験と業績で、日本での独立ポジションをもらえる可能性はほとんど皆無でした。ヨーロッパで同年代の研究者がすでに独立し活躍している様子を見て、できるだけ早く、自分も同じ土俵で戦ってみたいと思ったのも、帰国をあきらめた理由でした。また、当時のイギリスは、バブル景気で研究費も豊富だったため、心のどこかで「まあ失敗しても最悪何か仕事はあるだろう」という気持ちもあり、また、独身という身軽さもあったでしょう。もしサポートするべき家族がいれば、そんなギャンブルはできなかったかしれません。2ndポスドク先は、独立研究者としての自分の力を試すため、そして将来のためのコネ作りも考えた上で、世界的に有名な大研究室のみに絞りアプライしました。かっての競合ラボにもアプライしたため、PhD指導教官からお叱りを受けるハプニングもあったものの、最終的には、ショウジョウバエを使った細胞周期研究の権威であるケンブリッジ大学のDavid Glover教授からオファーをもらいました。 海外学振の奨学金を使い、共同研究という形で始まった2ndポスドクとしての2年は、まさに怒涛のように過ぎていきました。忠告があったように新しい実験システムに慣れるのには非常に苦労しましたが、なんとかpreliminaryデータをため、半年後には若手研究者が独立するためのキャリア・ディベロップメント・フェローシップの申請準備を始めました。また、今思うと「怖いもの知らずだったな」と感じざるを得ませんが、ケンブリッジの名だたる研究者にコンタクトをとっては、議論をさせてもらいにも行きました。実際の独立に関しては、ただ幸運であったとしかいいようがありません。当時、共同研究者という形式だったため、同大学をホストとしてのグラントの申請も許可され、またDavidをはじめ多くの方々がグラント書きから面接対策まで協力してくれました。面接での手応えはあったものの、自分以上に業績のある人たちが落選しているのを見る中、実際にオファーの電話をもらった時は、しばらく呆然として、現実のこととは思えなかったのを記憶しています。 しかし、ケンブリッジでラボ開設早々、そんな夢のような思いはすぐに吹き飛んでしまいました。なぜか生データをみせたがらない学生を、たどたどしい英語で必死に説得しなくてはいけなかったり、すぐに落ち込んでしまうポスドクをたえず慰めなくてはいけなかったりなど、指導経験の乏しかった私には、研究以上に人間関係でのトラブルの連続でした。特に、ラボ開設初日に、たった1人の研究スタッフから、妊娠しているため、すぐに産休に出ることを報告されたときには、まさにパニックに陥ったのを覚えています。ただ、そんな問題の多くは、私自身のPIとしての未熟さが招いたことです。自分自身の成長につれ、研究スタッフの質、そして研究室自体も確実にレベルアップしていくのを実感しています。もし皆さんが、多少なりとも将来独立することを考えているのであれば、学生の時からでも、リーダーとしての資質を学んでおくこと、そして、なんでも相談できる、経験のあるメンターを見つける努力をすることを強くお勧めします。 最後にですが、海外で独立する利点は、最新情報の手に入りやすさのみならず、日本の大学と比べ、若手PIが実際に研究に使える時間が多いこと、そして、共用機器や施設があるため、若手といえど十分なアクセスがもらえることが挙げられます。しかし、私にとって、海外で独立する最大の利点は、学びの大きさでしょう。多様な価値観を持つ人たちをリードし、その協力を得る方法を学ぶこと、そして言語のハンデキャップを補うに十分な質の研究を創り出していく方法を学ぶことは、人生の上での何事にも代えがたい刺激的な学習経験です。すぐれたサイエンスをするために、研究する場所そのものは重要ではないと思います。国際化がより加速している中、より多くの日本人研究者が、世界の各地でユニークな研究を率いていくのを期待しています。
編集者より
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編集後記:
留学先では、ビックラボに行くことが成功の鍵である。広く伝わっているアプローチで、確かにビックラボから独立した方も多くいます。しかし、ビックラボで思うように力を発揮できなかった方も多くおられます。私の2度目のポスドク先は、自分ですべて研究をドライブする環境でした。なんとか生き残りましたが、最初の留学先に選んでいたら、何もできぬまま時間がただ過ぎてしまったことだろう、マッチングが大事なのだと、共感しながら読みました。そしてリーダーに必要な能力は、サイエンスとはまた違うものです。我が身に起こったことのように染み入って読みました。是非、今のうちから知っておくと、日々の学びが深くなると思います。貴重な体験とアドバイス有難うございます!
編集者:
Atsuo Sasaki